木下直之全集:今月の一冊:動物園巡礼

今月の一冊

木下 直之

動物園に行こう

サル山とカップル

生まれた時から身近に動物園はあったから、動物園がない町に生まれた人のことにまで、ずっと思いが至らなかった。人生において、動物園には少なくとも三度行く、といわれる。すなわち、子どものころに親に連れられ、親になったら子どもを連れて、さらに爺さん婆さんになってからは孫を連れてと。もちろんそんなことはない。カップルでも行く、幼稚園や小学校の遠足でも行く、ひとりでも行く。私などは、ある時期、上野動物園の年間パスポートを買って、正門から入り池之端門に抜けて職場に通っていた。

ただし、知らない土地の動物園にまでは、ほとんどの人が足を向けないのではないか。それほど動物園とは地域に密着した施設である。したがって、ふだんから足を運ぶ動物園のことしか知らない。パンダを例外として、動物の赤ちゃんが生まれたという出来事はローカルニュースに止まり、全国ニュースにはならない。

ゴリラ

しばらく前に、こんなことがあった。2016年5月10日に、福岡市動物園のゴリラ「ビンドン」が死んだ。翌6月2日に、千葉市動物公園のゴリラ「ケンタ」が死んだ。さらに翌7月25日に、上野動物園のゴリラ「ムサシ」が死んだ。それぞれの死がローカルな話題として報じられるかぎりは、日本全国に何頭のゴリラが飼育されており、3頭が立て続けに死んだということがどれほど大きな痛手であるかがさっぱりわからない。いいかえれば、いま動物園がどのような状況に置かれているのか、まったく知られていないのだ。

神戸の美術館に勤めていたころ、道をひとつ隔てた向かいが動物園だった。美術館が私の生きる世界、そして動物園は無縁な別世界だった。ある時、動物園で「展示」という言葉が使われており、それもかなり重要な言葉だと知って愕然とした。「展示」はわれわれ美術館人の専売特許だと信じていたからだ。

もちろん、それは思い上がりというものだ。美術館と動物園は「展示」という共通項を持っているのだと気づいた。なるほど美術館は美術品という物品を扱い、動物園は生き物を扱うという大きな違いがあり、それゆえに学芸員よりも飼育員の方がはるかにたいへんな仕事だと思うが、美術品、生き物、いずれも本来の場所から引き離して、それらを眺めるためだけの場所に囲い込むという点が共通している。

いや、話はもう少し入り組んでいて、美術館に展示されるためにつくられる美術品があり、動物園生まれ・動物園育ちの生き物がいるという現実もある。それらはどちらも美術館や動物園が「本来の場所」ということになる。そんな観点から両者をひとつの視野にとらえたいと思うようになり、大学の教室で動物園を語ることにした。

オオアリクイ

学生たちを動物園にはじめて連れて行った時の記念すべき写真がこれだ。「動物園に行こう」と呼びかけ、2004年12月7日午後3時にオオアリクイの前に集合した。

動物園に動物園を見に行く

場所と時間は、上野動物園の当時の園長小宮輝之さんの指示だった。それはオオアリクイの食事の時間だった。オオアリクイと私たちとの間には、何の変哲もない小さなプラスチック容器がぶらさがっていた。その中には本物のアリに代わる餌が入れられ、オオアリクイは長い舌を伸ばして器用にそれを食べ始めた。

あの時の私たちの目は、オオアリクイの見事な舌の動きとそれを見せる装置の双方に釘付けになっていたのだと思う。いかにも手づくりの装置は飼育員の日頃の活動から工夫して生まれたものだった。それは、動物園がオオアリクイの形態ばかりでなく生態をよりよく見せる場所だという信念に裏打ちされ、同時にまた、単調なオオアリクイの暮らしにちょっぴり刺激を与えたいという希望(これを環境エンリッチメントenvironmental enrichmentという)から生み出された。あの日の私たちは動物と動物園の双方を経験していたのである。

それから各地の動物園を見て歩くようになった。動物園で、人は動物について知るばかりでなく、自分がヒトであることをも教えられるだろう。それは人と動物の結縁(けちえん)の場である。

動物園を名乗らない動物園

旭山動物園の元園長小菅正夫さんのこんな言葉が忘れられない。「動物は本当に堂々と死んでいきますよ。「じゃあな」と言って去っていくのです」。「動物をずっと見ていてください。人間のほうがおかしいと思うようになりますよ。動物園にいる動物がすごいと思うのは、命ある限り、命だけを見て生きているということです」(『生きる意味って何だろう?』角川文庫)。

動物園はいのちと向き合う場でもある。まるで霊場だなあという思いから、巡礼に出た気持ちになった。訪れる先々で、動物園の可能性を教えられる一方、直面するさまざまな難題を知らされることにもなった。何よりも野生動物の入手と繁殖が困難になり、日本人の慣れ親しんできた動物園が立ち行かなくなっている。動物の高齢化が進み、ゴリラやトラやホッキョクグマなど希少動物の飼育頭数は急速に数を減らしている。

富山市ファミリーパーク

動物園がこれまでもあったから、これからもあると考えるのは大間違いだ。その未来を考えるのであれば、これまでにたどってきた道を知る必要がある。こうして巡礼先は過去にも向かった。

珍しい外国の動物を図鑑のように見せる場所から、日本の動物を見せ、さらに人と動物がつくりだしてきた文化を知らせる場所に変わろうとしている。あるいは、絶滅が危惧される動物を守り、繁殖で増やし、さらに地球環境や生物の多様性について考えさせる場所になろうとしている。富山市ファミリーパークの元園長山本茂行さんからも多くのことを教えられた。考えてみれば、同園は呉羽丘陵という里山の中にあり、はじめから動物園を名乗っていない。本書の差し当たっての終着地は富山になったが、満願を成就したわけではない。動物園巡礼はまだまだ終わらない。

とろけるボーダーライン

斉藤美潮

東京大学出版会編集部

2018年の夏、雨の週末。私は本書の終着地である富山市ファミリーパークを歩きながら、この本に辿り着くまでの私自身の「巡礼」に思いを馳せていました。

木下先生に初めて単行本の依頼をしたのは、たしか15年ほど前。『見世物はおもしろい』(別冊太陽)の鼎談で、「戦争の記憶装置としてのミュージアム」のお話を読んだ頃でした。強く興味をひかれ、研究室を訪ねて本のご執筆をお願いしたのです。

けれども、戦争というテーマはやはり先約がありました。ざんねん。その後しばらくして、先生から東大でのご講義「動物展示論」のことをうかがいました。動物園を美術館と同じ展示施設と捉える斬新な視点。「ぜひウチで!」とご執筆をお願いし、「動物園と日本人」(仮)を書いていただくことになりました。

2013年からは、東京大学出版会のPR誌『UP』で「動物園巡礼」と題して隔月連載をしていただきました。お城や股間を巡礼なさってきた先生ならではの秀逸なタイトル。その後単行本化のための編集作業がすすみ、「ついに刊行まであと一息というところまできたのだ」と、巨大なニワトリ舎の前で私は感慨にふけりました。

美術館、見世物、お城、戦争、銅像、男性裸体像…先生が着目してこられたものは、相互に関連がなさそうに見えて実は大きな渦の中でつながっており、境界線が溶け合っているかのよう。本書もまた、例えば動物園と博物館、動物とヒトの間の、自明とされるボーダーを相対化する問いかけに満ちている…。

そんなことを考えながら、ふと立ち止まったのはサル山でした。そういえば巡礼第5番に、人間は服を手放さない、体毛を失った「裸のサル」だという話が出てきたっけ。私が一匹のサルを見る。いや、見られているのは私? すると檻の中にいるのが私で、あのサルは人間?…私とサルの境界も溶けはじめます。

ファミリーパークを後にする頃、雨はあがっていました。帰りに富山駅で見た「平和群像」の男性は、股間が盛大にとろけておりました。

木下直之と私の私事

山本 茂行

富山市ファミリーパーク名誉園長・元日本動物園水族館協会長

「動物園巡礼」に私は2回登場する。第十四番の「河馬流転」で「ちょっと怪しげなひげ面の若者」。第十八番の「振り出しとさしあたっての上がり」では「この飼育員のなれの果て」として。
なかなか当を得ている、と思う。

出会いは2009年。城と銅像に興味ある人がなんで富山の動物園に来たいの、と思った。それが交流の始まりだった。いつも買い物袋を片手に洗いざらしのシャツとジーンズ姿、そり忘れの無精ひげ、一見、職なき中年フリーターこと木下直之さんとの。 富山で私は、見せるがための日本の動物園を変えようとしていた。自然と人を知る場を目指し、閉ざされた“内輪の世界”をこじあけようと私は戦い続けていた。

彼は、歴史を縦糸に、社会を横糸に、「見世物」のはざまにあるものや隠れたものや、「文化」と称する人間が利用するすべてのものを、とことん掘り起こしていた。

私の思いに繋がるものがあった。経営や組織、国との関係は文化資源学を語るに重要という彼の考えは、私の背中を押した。8年前に日本動物園水族館協会長になったとき、組織を大改革して外部意見を聞く広報戦略会議を新設した。彼に委員を頼んだ。動物園に対する自治体の役割と限界を喝破し、国の関りを求める彼は、会長時代の私を支えてくれた。今でも日本の動物園界になくてはならないご意見番だ。楽しい遊びや吞み仲間でもある。

江戸時代から続くわが町のつくりもん祭にも彼はやってきた。つくりもんは地蔵尊に収穫物を供えて分け合う町内の小さな祭りだった。有名になり、地域活性化対策となり、企業などが参画、野菜を大量消費=廃棄する観光インスタレーションに化した。それを見たくない私は半分嫌々彼を案内した。察していたことだろうが。

見世物や文化の変遷を知るのも大切なこと。文化は常に歴史や社会に翻弄されるがしたたかな存在なのだから。

酒を酌み交わし、観ることの大事さを語り合う。

木下直之はそんな人。なれの果てが申すなり。

木下 直之先生

岩野 俊郎

到津の森公園園長

なるほどと思った「股間若衆」。木下先生の文章は秀麗である。であるから、「股間」を語っても下世話にならない。そこが我々凡人との差であろう。もちろん下話(しもばなし)ではあるけれど、何故か美的である。

木下先生は、公益社団法人日本動物園水族館協会の顧問でもある。先生の動物園水族館に対する目は、常にフラットであり、偏向がない。かつて先生から「動物園の動物を『展示する』という言葉に驚いた」と言われたことがある。先生にとって『展示』とは、生あるものの陳列ではない。我々は当然のように動物を『展示』してきた。生き物でありながら、生命のない物のように。先生の直観は正しかった。我々は、動物を共に生きる物としての環境を提示する必要がある。動物園の改革は、実は修正ではない。革命的改編なのである。先生の声はこうだ。「動物園を改革すると言われるが、根本的(言葉を変えれば哲学的)見直しがなければ、動物園は『展示』から抜け出せない」。動物園は何のために存在するのか。ある意味動物園は美術館に似ている。美術館に必要な物は、目玉となる作品。ピカソ、ゴッホ、マネなどなど。しかも大きな作品がいい。先生の美術館に対する見方は厳しい。また動物園人である我々にはこう言っているように聞こえる。「目玉のゾウがいなければ動物園と言えないのか」。

我々は、日本における新しい動物園像を創造したいと願っている。それは他の分野ではすでに行われている国際貢献である。悲しいかな日本には国際貢献をする動物園がない。もちろん国立の動物園もない。何故なら「動物園はレジャー施設、娯楽施設」であるからである。世界は流動的であり、野生動物の住む世界はますます狭小化しつつある。それはとりもなおさず我々の世界に直結する。

木下先生には本当に感謝したい。先生の声は、「存在するが故に価値があるのではない。どのように生きているかが重要なのである」と我々には聞こえる。